食と記憶と、その先のお話。


食にまつわる記憶っていうのは、食べたものとか作ったものとか、そういうものだけじゃなく、誰といたとか、どんな話をしてたとか、どんな場所だったか。そういうものを思い出させてくれる。

もちろん、香りが記憶を呼び起こすプルースト効果がそうさせるわけでしょうし、音だとか食感だとか手触りだとか、そういう五感に働きかけるものすべての力がそうさせるのだと思います。詳しい事は学者でもないので深いところは分かりませんが。


実際に自分ごとにしてみても、食と記憶を繋ぐと、いろいろな事が思い出されます。
はっきりとした記憶はなく、写真には残っているのだけれどmこ、3歳の頃に寿司桶の上でダンスをしていた事とか、4歳の頃に父に連れられ広島に行った時の野点の味や夜の店での・・・これはいいか。
芋掘りをしていた記憶や、運動会とかで母が作った天むすとか。最初に教わった料理が何故かナスのミートグラタンだったとか、トマトだとか火の通り方が甘い玉葱やピーマンが昔は嫌いでさ、食べられなかったら滅茶苦茶激詰めされて食べるまで許してもらえなかったり。それが両親だけでなく親戚も同じように激詰めで結構しんどかった事とか。料理コンテストで入賞したにもかかわらず教職員を含む全校生徒に笑われ褒めてくれる人は皆無に近かった事とか、いろいろな仲間と旅したりなんかしたりした時の話やら、その時に食べた料理やら。付き合ってくれた方々に出した料理とか、その時の表情とかなんかとか。


楽しい事もそうだけど、つらい事とかいやな事とか、そういう記憶も呼び起こされてしまって、なんだかめんどくさい感じではあるのだけれども、そういう事を考えてみても、あぁ、食ってすごいんだなぁとか思ったり、1食1食って大事にしなきゃならないんだなと思う僕もいるわけです。


人生、何年生きるかなんて分からないですし、どれだけ生きられるかなんて知りたくもないのだけれども、哀しいかな、明日を約束されている人なんて、誰もいないわけです。だからこそ、その日その日の1食1食ってのはやっぱり大事だし、誰かと食べる飯ってのは本当に大事なわけだし。それが記憶としてどんどん積み重なっていく事で人生、豊かになっていくのだと思います。


だからね、やっぱり一人暮らしだろうが同棲してるとか、家庭だとか、場合によっては職場ってのもあるのかな。簡単でもいいからさ、飯作って食べるって事はなくしちゃいけないと思う。教えてもらえる環境があるのであれば、ぜひ教えてもらったほうがいいとおもう。ただ1つの料理なのに、そこには数え切れない物語もあるわけですし、そこに、どれだけの想いがつまっているかだって、会話に事欠く事もないわけだし。
もちろん、外食や中食だってそう。とくに外食かな。料理だけでなく、それを伝える・勧める、場を作る。これっていうのは本当にすごいことだと思うのです。死ぬまで記憶に残っていくものを作り上げられて、かつ、人の心を死ぬまで掴んで離さないような事ができる。数少ない仕事のうちの1つですから。だからこそ、かかる費用の大小はあるにせよ、みだりに蔑ろにしすぎるお店は好きにはなれない。でも、真っ当な事を真っ当にやってる店っていうのは、やっぱり好きになれる。通いたくもなる。

今年は、1つ自分のソウルフードというべきものがある店が1つなくなった事があったり、仕事を通してより深く食の事や人の事を考える事が多くなり、考えれば考えるほど、深みにはまっていってしまっている事、いろいろな事がありましたが、やはり僕としては、僕がいま持っているものや環境を活かして、「明日、ほんのちょっとだけでも、いい日に」というのを、食、職、音楽、祭、生活にかかわるもの(というか、僕が好きなものか、まずは)を通して、あれこれ伝えていきたいな、プロデュースをしていきたいなと改めて思ったのと同時に、世にある「真っ当なもの」をちゃんと「真っ当」に伝えていく文化を小さくても、ちゃんと作っていきたいとそう考えてます。そのために何するかってのは、おそらく今あるいろんなもの、いろんな人を巻き込んでいかにゃあならないとも思いますし、たぶん、これをやるには僕自身ももっと成長するなり有名になるなり、なんかしらしてかなきゃならないのと、割と飽きっぽい性格でもあるので、尻をたたいてくれる人やら、割と人前では出したくない癖やらなんやらもあるので、そういうのをなんやらするなにかも必要かもしれませんが、まぁなんでしょうね。干支も今日から4周目に入るという事ですから、ちょっとたまには、こういう事も書き残しておいて、ちゃんと動こうと思った次第です。


それぞれの人生に、それぞれのいい物語を。
紡ぐきっかけを、ひとつ、ここから。


そんなかんじで僕は干支4週目、野郎飯は7年目へと、進んでいきます。